私は物心つく前に両親が離婚をし、父方に引き取られました。そしてその父も、私が小学校低学年の時に再婚をし、私は「継母」を含む、家族と共に生活することになりました。しかし、その継母は私に対しての当たりは冷たい人でした。気分次第では「暴言」「暴力」「無視」は当たり前であり、私の子ども時代は「常に人の顔色をうかがう」「ビクビクおどおど」とした状態で過ごしていたのです。
そんな、「普通の家族」とは言えない環境の中で私はどのような部活動をおこなったのかを書かせてもらいます。
小学校の部活動「ファンファーレバンド部」
私が子どもの頃は、小学校でも積極的に「部活動」が行われていました。(クラブ活動や委員会もまた別にありました。)
特別楽器が上手というわけでもないし、歌が得意というわけでもありませんでしたが、「音楽は好き」だったため、迷わず第1希望で申し込んだ部活動です。
部の活動
部の活動は、中学校で言う「吹奏楽部」とほとんど同じような活動であり、木管楽器はないものの、金管楽器と打楽器で構成された「鼓笛隊」に近いバンドでの活動でした。
運動会の入場行進やマーチングのお披露目、消防の出初式、市一斉の講習会(集団練習的なもの)、市内お祭りのパレード参加など、意外と忙しい部活動でした(笑)
もちろん小学校での活動ですので「部費」というものもなく、楽器等も学校の備品を使うことができました。
部費はないもののマウスピースは購入…しかし、
当時は、トランペットを吹きたいと思って入部しましたが、「マウスピースだけは購入すること」という決まりがあったため、泣く泣く打楽器を選択したのでした。と言うのも、「継母にマウスピースを買ってもらえないかも」と思ったからでした。
継母は、給食費ですら出し渋る人でした。
当時、給食費は「現金徴収」していた時代であり、都度封筒が配られそれにお金を入れて期日までに提出というスタイルでした。
提出日が過ぎてもなかなかお金を用意してくれないため、「学校のお金ください。」と言っても、「今言われても困る。もっと早く言ってもらわないと!お金なんかない。」と言ってはすんなりと「学校で必要なお金」を出してはくれませんでした。気分次第では「お金がないのはお前(私)のせい」とされることもありました。
毎月、そんなやり取りをしていたこともあり、私は「できることならお金のかからない方法を選択する」ことが当たり前となってしまいました。
ですので、「やりたい楽器」ではなく、「お金がかからなさそうな楽器」を選択したため、トランペットを吹くことをあきらめたのです。
中学校の部活動「美術部」
絵を描くことも好きでしたので、「美術部が嫌だ」と思ったこともありませんでした。しかし、本音では「吹奏楽部希望」でした。顧問にも直接勧誘されたくらいでした。
ところがここでも、家計を握っている継母に遠慮をしてしまいました。
吹奏楽部は、今も昔も「お金がかかる部活」として有名です。その上「楽器購入を推奨」されていましたので、継母にお願いなんてとてもできませんでした。
美術部を選んだ最大の理由は
それは「お金がかからない」からです。
当時は今と違って「部活動は強制的に入るもの」でした。校内で行われている部活動のいずれかに所属しないといけなかったのです。
運動部を始め、吹奏楽、美術、書道…などの文化部がありましたが、私には
- お金がかからない部
という制約がありましたので、本当は第2希望でしたが書類上は第1希望ということで美術部を希望したのです。
今はわかりませんが、美術部に関しては、「部費」もありませんでしたし、「保護者会」もありませんでした。継母には何も負担をかけない部活ということです。
部費もかからないし保護者会もない部活だが…
絵を描くことを活動している部活ということもあって、「画材」は必要となります。画材は基本的に「自分持ち」であったため、各自「書きたいものに合わせた画材」を用意していました。
しかし、私は継母に「画材を買って」とお願いすることができませんでした。
周りの多くは「油絵」を描いている中、私は美術の授業で使っている水彩絵の具を使った絵や鉛筆画を描いて活動していました。部活動中何を描くかは自由でしたので、もちろん私以外にも水彩画を描いている子もいました。
でも、油絵にも興味があった中学生時代…。少しばかり切ない思いをしたのでした。
さいごに
自慢ではありませんが、小学校の頃から「校内絵画コンクール」で賞をとることが常連だった私。中学校では、とあるコンクールで「市長賞」をもらい、教育委員会がらみの(なんだかわからない)しおりの表紙に私の絵が使われるくらい、大人受けの良い(?)絵を描いていたのでした。
高校時代は「定時制高校」へ通っていたため、部活動はありませんでした。しかし、美術の先生が私の「絵が好き」ということに気が付いたため、個別で絵を描くコツを教えてくれたこともありました。
本当は「音楽」もやりたかったのですが、それは子どもが巣立ってからのお楽しみ…になると良いかなと思っています。
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