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娘とピアノの5年間【ピアノ教室をやめるまで】

生活

約5年間ほとんど休むことなく行くことができたピアノ教室でしたが、中学校での勉強を優先させるためにやめることになりました。

今回は、そんな娘の5年間のピアノの成長を振り返ってみたいと思います。

ピアノを始めたのはみんなより遅めの小学2年生の冬

小学校2年生の12月でした。

何か習い事に通ってみたかった娘の気持ちを汲み、好きな音楽に関係するピアノの教室が近くにあったことなどもあり、体験レッスンを経ての入学となりました。

多くの子が未就学児から始める中、我が娘のスタートはかなり遅めだったのです。

しかしもともと好きな音楽だったため、はじめのころから上達は早く、グレードテスト(昇級テスト)も2年で3回は受け、みるみる昇級していきました。

娘のピアノを習い始めた当初の目標→達成

せっかくピアノを習い始めたので、目標を持つことを勧めました。
すると、(学校の)音楽発表会でピアノを弾けるようにしたいと、大きな目標ができました(笑)

まあ、それに向かって頑張って練習をしてくれるのであれば、それで良いという気持ちで見守ることにしたのですが…。

ピアノ教室に通い始めて1年足らずの小学3年生の秋、「お母さん、音楽発表会でピアノを弾くよ!!」と楽譜をもって学校から帰ってきたのです。

まだ、早かないか???という私の思いもよそに、練習を始めた娘。まだまだ楽譜の音読みも充分にできない頃でしたので、私が手伝いながら練習をしたものです。

この年は、合奏のピアノを担当することができましたが、小学校の合奏では他の楽器の音にかき消されてしまうため、娘の弾くピアノの音はほぼ聞こえなかったです(´;ω;`)

ですが、みんなの中からピアノ奏者に選ばれ無事にやり切ったことから自信につながったようでした。ひとまず最初の目標達成でした。

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小学4年生になるとさらなる目標ができる

誰に似たのか(笑)娘は目立つポジションに立ちたがる性格をしています。

その性格もあってか、次なる目標は「合唱の伴奏をしてみたい!!」となりました。

とは言っても、この段階でまだピアノ歴は2年足らず…いつかできるといいねくらいで見守っていたのです。

ところがこの年は、例年の音楽発表会に加え、中学校での演奏会に参加もあり、市内の小中学生の代表が1つの場所に集まって演奏会をする年でもあったのです。娘の学年がこの演奏会に出ることになり、発表の場が増えることによって、より多くの人に見てもらえる機会となります。

当然伴奏者・指揮者のオーディションも行います。

この年の発表は2曲。指揮者はもちろん、伴奏者も各一人ずつ2名決めることになりました。

1つは合唱曲の伴奏、もう一つはリコーダー奏の伴奏。もちろん娘の目標は合唱曲での伴奏でしたが、この年はまだまだ実力が伴わず、比較的難易度が低いリコーダー奏の伴奏をすることになりました。

それでも合奏とはいえ、リコーダーとピアノのみの合奏ですので、ピアノの音はかなり生きてきます。間違えてしまうとかなり目立ってしまう状況でした。

全部で3つの会に出ることになったこの年の伴奏は、本人の希望する合唱での伴奏ではなかったものの、充分に存在感のあるポジションだったように感じました。

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小学5年生ついに念願の合唱の伴奏を射止める

5年生も終わり際…「卒業式」にその大役は訪れたのです。

卒業式と言っても、5年生でしたので送る側としての合唱ではあったのですが、娘念願の合唱での伴奏ができることになったのです。

「自分の卒業式の時は、もっと上手な子が伴奏に決まると思うから今年立候補した!」

と言っていたくらいでしたので、冷静に自分の実力を考えての選択だったのでしょう。 この年は他に立候補した子がいなかったのかすんなり娘が伴奏者に決まり、6年生の旅立ちに贈る歌の伴奏という大役をやり切ってきました。

我が子ながら、肝がすわってるな~💦

小学6年生でも合唱の伴奏

卒業式こそ娘の予言通り、学年で一番上手な子が合唱の伴奏に決まりましたが、「6年生を送る会」でのお礼に歌う合唱では伴奏を弾かせてもらうことができました。

全校児童・教職員と児童クラブの支援員、6年生の保護者が見守る中、これまでで一番難易度の高い曲を見事に弾き遂げました。

もちろん私は保護者席の最前列を陣取って(笑)娘の姿を見届けました。

中学に入学してからピアノと疎遠になる

この年は、「コロナ騒動」からのスタートでした。

学校休校中は、ピアノ教室も休校でした。約2か月間、教室に行くことができませんでした。この休校期間の間、娘はほとんどピアノの練習をすることがありませんでした。今思えば、この時にピアノから心が離れていきつつあったのかもしれません。

しかし、嫌いになったのではありません。

中学生になったことによっての新生活、コロナによるイレギュラーな日々、いろんな要因があったと思います。

学校再開後はすぐに部活動の体験入部からの本入部など、これまで以上に忙しい毎日になりました。(娘は音楽好きなので、部活動は吹奏楽を選んでいます。)

ピアノ・部活(サックス)・勉強のすべてが上手にこなしていけると一番良かったのですが、興味の対象がピアノからサックスになってしまったこと、勉強が思うようについていけてないことなどがあり、「お母さん、ピアノをやめて塾に行きたい…」と言うようになったのです。

母としては、塾に行きたいなんて願ったりかなったりではありましたが、これまでやってきたピアノをやめてしまうことへの寂しさもありました。

ですが、寂しいからといってやる気のないままピアノを習っていても、それ以上の上達は見込めないであろうとも思ったので、やる気のある塾通いをさせるためにピアノ教室は退学という決断をしました。

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ピアノ教室最終日

5年間お世話になった先生にあいさつもしなくてはいけなかったので、最終日は一緒に行きました。(私は月1回程度、練習を見学していましたので先生とはかなりお話をしています。)

先生へのお礼の品物に迷う

手ぶらで行くわけにはいかないので、お礼の品物を用意しようと思っていました。

本当は私の地元のおいしい洋菓子を取り寄せようかなとも思ったのですが、迷っているうちに日にちが迫ってきてしまい、結局当たり障りのない菓子折りとなってしまいました(;^_^A常温で置けるものの方がいいですもんね💦

ピアノ教室で練習していた最後の曲

娘が最終日に練習していた曲は、髭男dismの「宿命」でした。

本来であれば、夏のピアノ発表会で演奏するはずの曲でした。

しかし、部活動との兼ね合いで発表会には出席することができませんでした

練習する気力も時間もないまま、長い間この曲を練習していたのですが、何とか完成させることができたのです。

娘が弾いてみたいと言って練習することにこの曲が、ピアノ教室で習う最後の曲となってしまったのです。

さいごに

ひとまずピアノに区切りをつけたのですが、保育士を目指す娘は、またきっと違う形で教室のお世話になるのではないかと思っています。

教室の先生も、「保育士になるために必要であれば、いつでもレッスンに来てくださいね。」と言ってくれましたし、実際に保育士を目指している高校生が再びピアノ教室に来始めたとの話もしてくれました。

その後、娘は保育士という夢から音響という職に興味が変わり、おそらくピアノとは疎遠になってしまうのではないかと思います。しかしながら、ピアノを習っていたからこそ吹奏楽でも「譜読みの速さ」はピカイチですし、高校吹奏楽では音楽センスを買われて学生指揮にも抜擢されました。

ピアノでの経験はいまだに生き続けています。

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